『紙芝居』への回帰 ー マルコと銀河竜による「ノベルゲーム再定義」について
どうも、ワモです。
マルコと銀河竜が発売してから1ヶ月が経ちましたね。
steamでも圧倒的な高評価を得ているようですし、ビジネスとして成功と言っても良いのではないでしょうか。
さて、僕は前回の感想の時に「ノベルゲーム再定義」という論点については別で記事にすると言いました。今回はこの話をしようと思います。
あ、エロゲの話も含まれますので
一応18禁でお願いします
折しも昨年10月、あの有名ブランド「feng」を擁するホワイトローズ社が破産、そのさらに前の2018年には、アニメ化までした人気作「蒼き彼方のフォーリズム」を世に送り出した「sprite」も解散(復活したようですがどうなるやら)
口々に言われていた「ノベルゲーム業界斜陽説」がドンドンと具現化しています。
なぜか。
それはノベルゲーム業界が参入障壁激高の伝統工芸と化したからです。
皆さんは、和風総本家という番組をご存知でしょうか。
日本に根づく伝統工芸の職人さんを紹介し、それが以下に世界中で愛されているかをPRしている番組です。
そこで紹介されている職種はいずれも一子相伝。
片手で数えられるほどしか日本に職人が居ないというものばかりです。
ノベルゲームはまさにそれと同じような状態になっているのです。
さて、伝統工芸の特徴を挙げましょう。
- 一つ一つ手作り(そのため、一度に何個も作れない)
- 一子相伝のブラックボックス化された技術でしか作れない(あるいは、顧客側がそうだと思いこんでいる)
- 古くからの職人が多い
- 顧客の総数はほぼ固定かつ減少傾向(それでも成り立つ所だけが生き残る)
- 作るために必要な技術・設備が特殊で、揃えるのが大変
なんか身につまされる感じ、ありませんか?
これだけ大変で、かつ顧客のパイが増えない業界において、新規参入がどれだけ難しいかは想像に難くないでしょう。
故に、伝統工芸は生き残った数人の職人達だけで成り立っています。
歴史が長い分、既に淘汰が済んだ後なのです。
ノベルゲームの歴史はそれに比べたら短いものです。
いつがスタートかはまた別の議論として、せいぜい2、30年の歴史です。
それでも現代は通信技術の発達により、あらゆる事がスピードアップしている時代、この淘汰の動きもものすごい勢いで進んでいるのでしょう。
さて、現代における商業フルプライスノベルゲームと言うものの特徴を羅列しましょうか。いわゆる抜きゲーは除きます。あれはビジネスモデルが別です。
- とても文章が長い(2MB以上は当たり前。総プレイ時間50時間超える)
- 共通ルート+4,5人のヒロインの個別ルートが存在
- 場合によってはアフターストーリーも後ほど追加
- 主人公以外フルボイス
- ヒロイン達の立ち絵は当たり前、サブキャラにも立ち絵あり
- その立ち絵が動く動く
- Hシーン一人当り最低3つ
- スチルめっさある
- SDスチルもめっさある
まぁこんな所でしょうか。
僕自身、同人でゲームを作っていた事もあるので、ここに挙げた条件を満たすと、どれだけの労力、及びお金がかかるのかは想像出来ます。
多分、製作費だけで1,000万はくだらないでしょう。単価次第ではもっと行きます。
じゃあこれで経営が成り立つのかと言うと、厳しいでしょう。
自社スタッフが仮に5人だとして、最低限の給料が一人300万で計1,500万。
家賃とかあったらこの規模なら月20万、年240万。
設備買い揃ると、5年償却と考えても年50万(PC+各専門機器+椅子机)
その他諸々含めた最低ラインが年2,000万。
開発が1年半とすると、1,000万+2,000万×1.5=4,000万。
売上はというと、フルプライス1本が大体10,000円。
流通に半分持っていかれて5,000円。
40,000,000÷5,000=8,000本
ざっくり計算ですが、最低でも8,000本売れないと、経営は成り立たないんですね。
最低ですよ最低。今どき、特典の布だのポスターだのが付いているのが当たり前の時代です。そんなになったらもっと行きますよ。
もっと言うと、最初の作品を出すまではこの数千万を借り入れるか、自分の懐から出すしかありません。
フリーランスの方や会社経営をした事のある人なら、それがどれだけ難しい事かはわかりますよね。
果たして今の時代、この茨の道を進もうとする会社に数千万円もポンと融資してくれる金融機関がありますでしょうか。
果たして今の時代、多額の私財を持つまでに至ったそれなりの有識者が、この業界にそれを投げ入れる暴挙に出るでしょうか。
勿論、この動きはドンドン減るでしょう。
そう、今はまさにノベルゲームの淘汰の時代であると言えます。
そこに彗星のごとく舞い降りた「マルコと銀河竜」という作品。
スチル1,000枚の超物量! カートゥーン! など、目立つ部分が持て囃されている本作ですが、私はそれよりももっと凄まじい、まさしくパラダイムシフトにも似たような感覚を覚えています。
ここで唐突ですが、実際の作業分担について考えてみましょう。
まずは絵。
原画・線画・着色・仕上げ……実はかなり分業化されています。
素人だった当時の私は、分業を全てかなぐり捨て、各人に0から100までおまかせしてました。
分業すると、前後工程との兼ね合い(ボトルネック発生)もあるので、それはそれで大変な事なのですが、これが出来れば開発速度は格段に上がりますし、スチルの品質もかなり均一化・安定します。
そしてこれは、各工程においてはある程度マニュアル化が可能であり、比較的細分化が可能だと認識してます(異論バッチコイです)
次にボイス。
これはもうシンプルですね。
それぞれの役の声優さんが、膨大なセリフを全部演じる。それだけです。
ポプテ◯ピックとか学芸会みたいに分業するわけにもいかんでしょうから。
それ以上でもそれ以下でもない。但し、リテイク指示等を出す側の人間は限られているでしょうから、そこがネックになりうるかも、って感じでしょうか。
次にUI(システム)
こちらは一度構築してしまえば、その後は使い回せます。
今どきはオープンソースなども活用出来ますし、優秀な先人をある程度アレンジする事も出来ますので、初期に比べたら相当障壁は下がっているのではないでしょうか。
処女作が大変だとは思いますが、一度仕様を決めてしまえば、後のコーディングは外部に丸投げ可能ですし(「やっぱこうしたい」が後で出ると血の海ですけどね)
次に音楽。
これはどうなんでしょう。
外部に丸投げか、内部スタッフが一人でやるか、或いはその両立かの三択ですが、両立についてはある程度可能かと思います。
音楽って「第二のシナリオ」と言っても過言ではないほど演出上重要な役割を持っていると思いますので、こちらが他の要素とマッチしてないと、えらいことになります。
でも、ポップな音楽とか、オーケストラ調とか、得意なジャンルって各人あると思いますので、ジャンル毎分業というのはアリなのではと感じます。
それこそ、作品全体を取り仕切るディレクターが最終ジャッジを下すようになっていれば、そこまでイメージの乖離は起こらないと思います。
デバッグは……言うまでもないですよね。
ま さ か 一 人 で や っ て な い で す よ ね ? ? ?
そして最後。シナリオ。
ここが最も言いたいことです。皆さんはどう思いますか?
共通ルートとメイン一人か二人はメインライターが書いて、他のサブは別のライターが書けばいいだろ? 実際そうしてるし。
Hシーンは新人ライターに任せてるって聞いてるけど。
そう思われるんじゃないでしょうか。
確かにそうなんですが、これ、実はかなり際どい苦肉の策なんだと思うんです。
結論から言うと、作品全体としてのシナリオの品質を担保する為には、分業はほぼ不可能です。
なぜシナリオだけが分業不可能であるのか、その理由は各工程の情報密度の違いにあります。
さて、フルプライスノベルゲームで、何でもいいです、あなたのお気に入りの作品で各項目がどのくらいの数値で表示されているかを想像してみて下さい。
スチル数は差分込みでも多くとも1,000枚です。
でもシナリオは? 5MBとかですよね。文字数にすると、約2,500,000文字。
これは別に、絵は1,000枚で楽で良いね、シナリオは250万字もあるんだぞ、大変だろ?って言いたいわけじゃないですからね。そこ誤解しないでくださいね。
言いたいのは1作品における情報密度です。
スチルは大事な場面において、ポツポツと出てきます。
ある意味、その瞬間瞬間を切り取った断片的な情報なのです。
つまり、その絵の中で整合性が取れていれば問題無し。
各スチル間に連続性が必要な局面は多くないでしょう。演出上、構図を同じにする等の指定がある場合も勿論あるでしょうが、全部そうではないですよね。
一方で、シナリオというのは温度差あれど、全ての章・シーン・文字に至るまで連続性を保っている必要があります。
よくある話じゃないですか。
あるルートでは童貞丸出しのオタク君主人公が、別のルートではチャラ男も真っ青の超絶竿竹男になっていたり。
そうなると叩かれますよね。というかまともな作品として語られませんよね。
勿論そういうのも引っくるめて最後上手くまとめるならいいんです。
でも、そんな事出来ますか? という話です。
出来ないです。そんなの(経験者は語る)
1年半というギリギリの製作期間で、全体構想という前工程、ボイスやスチルという後工程を考えたら、実質1年未満という短期間でそんな整合性をまとめる余裕なんてありゃしません。
事実、出来ていないからエロゲ主人公は時折支離滅裂な存在になってしまう。
ようは成り立ってないんです。ほとんどの作品が。
でもそれを業界は良しとしてきました。それでも買う人は買うから。
そこを変えたのがマルコと銀河竜です。
マルコと銀河竜は作品のテンポを重視し、地の文を廃し、それを大量のスチルで補う、という手法を取りました。これが肝要ですよ。
いいですか、先程申し上げた情報密度の話を思い出してください。
スチルはシナリオに比べて格段に分業しやすい、つまり大量生産しやすいんです。
時間のかかるシナリオ部分が減り、分業出来るスチル部分が増えるということは、製作期間を大幅に短縮出来るってことなんですよ。
これがどれだけ凄い事かわかりますか。
ざっくり計算しましょう。
50時間の文量が8時間の文量になったら、シナリオ側の負担は少なくとも2分の1です。
(計算上は6分の1ですが、負担が減った分、クオリティアップに時間を割くはずなので)
スチルは分業をさらに細かく分ければ、製作期間をさらに減らせます。
その分外注費が高く付くでしょうが、それは後ほど考慮しましょう。
金さえ出せば、ボトルネック工程はやはりシナリオになります。
つまりシナリオさえ何とかなれば製作期間は短縮出来るのです。
そう考えると、製作期間は1年半→約9ヶ月に出来ます。
そうなると、先程の費用概算はどう変化するか。
先程とは逆に多く見積もってみましょう。
製作費:3,000万
その他:2,000万(9ヶ月換算なら、1,500万)
ざっくり4,500万です。
マルコと銀河竜はsteamで一本8,000円くらいですから、
マージン30%(今は20%かな?)抜いて大体5,600円。
45,000,000÷5,600 ≒ 8,000本
従来の流通目線で考えると、マージン半分で4,000円。11,250本。
まぁ、ここまで考えると普通ですよね(見積もり方の違いに悪意はありますが)
え、何がパラダイムシフトなんですか? と原価厨は反論してくるでしょう。
違うんです。目の付け所が違う。
重要なのは、シナリオが圧倒的に減ったという所と、製作期間が短くなったという点です。
まず、シナリオが減ると何が変わるのか。
- 現代の「大量生産大量消費の購買感」に合わせられる
- シナリオ分業を減らし、全体の整合性が取りやすくなる
- 翻訳がしやすくなる
特にでかいのが一番最後。
翻訳はシナリオ文量に応じてそのコストが高くなっていくので、そのコストが50時間→8時間と6分の1になれば、それって+6言語出来るって事になるだろ?(錯乱)
というのは冗談ですが、英語・中国語でも出来れば、その瞬間顧客総数は爆発的に増えるでしょう。ネコぱらを思い出すんだ。
海外では20ドルらしいので、日本の8,000円はいわゆる「おま値」設定ですが、中国・アメリカの市場は日本の4倍なんて規模には収まらないでしょうから、セールス的には同じ比率と仮定、つまり日本の4倍なんて余裕で売れると思っていいでしょう。
{{信頼性要検証}} wikipedia風
それと、製作期間が短くなる点。
- 固定費負担が実質減
- トレンドに乗りやすくなる
- 計画が立てやすくなる
良いことづくめなんです。白髪無口ヒロインが流行ったのは何年前ですか?(煽り)
確かに捌かなければいけない本数は、そこまで減らないかもしれません。
でもターゲットとなる顧客総数は明らかに増えています。
製作期間の短縮によって、経営上明らかにやりやすくなると思います。
セールス的に見ても、今は高頻度で出していった方が間違いなく成功します。
Youtuberでも、毎日動画をあげる事が重要だと言う話ですし。
僕はそんな観点から、この「マルコと銀河竜」という作品はノベルゲーム再定義をしてくれるのではないか、と信じております。
やっぱりはとさん頭いいですよ。ああいうテンポ感のある文章を書ける人は絶対頭いいです(偏見)
それにしても皮肉なものです。
マルコと銀河竜は、立ち絵よりもスチルの方が画面に映っている時間が長いくらいの作品ですから、今までのノベルゲームとは全く違うプレイ感があります。
それこそ、伝統的な紙芝居のようです。
紙芝居って、公園に時々来てたじゃないですか。今は知りませんけど。
こう、木製(木星……ハッ!!!!!!!!!)の額縁に何枚かの画用紙が入ってて、画面が切り替わるとススっと抜かれていって。
エロゲはアニメと比較されて紙芝居ゲーだのなんだのと揶揄されてきましたが、そのパラダイムシフトとなるであろう作品が、まさしく古き良き『紙芝居』に最も近い形態なのですから、これ以上の皮肉ってありますか?